私とあなた,異なる心
私は鶏ガラのラーメンが一番うまいと思っていますが,豚骨のがいいという人はいるでしょう。
あなたは株取引に詳しいかもしれませんが,私は全然わかりません。
ご存知のように,我々は人はそれぞれに異なる心を持っていることを理解しています。
研究者たちはこのありふれた能力に,心の理論(theory of mind)という仰々しい名前をつけました。
なぜそんなことをしたかというと,ある程度成長した人間以外では決してありふれていないからです。例えば,赤ちゃんは自分と他人の心を区別していません。自分が楽しければ,他人も楽しいのです。
心の理論は,社会的な生活にとってなくてはならない能力です。お互いの状況や気持ちを正しく推測しなければ,他人と協力することはできません。ウソをついて騙す場合にも同じです。「みんな私と同じように考えている」なんて1人よがりな姿勢では,良い行動も悪い行動もうまくいきません。
以下で紹介する研究は,人間が何歳くらいから心の理論を持つようになるかを調べるために作られた,誤信念課題と呼ばれる実験の一つです。
よく似た実験として,バロン&コーエンによる「サリー・アン課題」が有名です
論文紹介
Wimmer, H., & Perner, J. (1983). Beliefs about beliefs: Representation and constraining function of wrong beliefs in young children’s understanding of deception. Cognition, 13(1), 103–128.
※実験1~4のうち,代表的な実験1を取り上げます。
問題の所在
心の理論の有無を調べるのには,騙し行動ができるかをみるのが有効です。なぜなら,他人を騙すには,自分が持っている情報と,相手が持っている情報を区別する必要があるからです。
騙し行動が何歳から可能かを測定するため,幼児でも実施可能な課題を考案しました。この課題は,短いストーリーに出てくる主人公について質問することで,他者(主人公)はどう考え行動するかを,幼児が正しく理解しているかを測定できます。
方法
実験参加者は,オーストラリアの児童36人。
4~5歳,6~7歳,8~9歳がそれぞれ12人ずつ。
実験参加者は次のようなストーリーを聞き,質問に答えました。
※質問2-1,質問2-2については,どちらか一方のみ回答。
②マキシ少年はそれを青の棚に入れる。
棚は高い所にあるので,母親に持ち上げてもらった。
③マキシ少年は外へ遊びに行く。
④母親はケーキ作りのため,チョコレートを棚から出す。
余りを青の棚ではなく緑の棚にしまい,再び買い物へいく。
⑤マキシ少年が帰ってくる。
質問1「マキシ少年はチョコを探すとき,どこを見るでしょうか?」
⑥チョコレートを食べようとするが棚が高くて届かない。
おじいちゃんに取ってくれるよう頼むと,どこにあるかと聞かれた。
質問2-1 「マキシ少年は,チョコレートがどこにあると答えるでしょうか?」
⑥お兄ちゃんがチョコレートを探している。
見つけたら全部食べてしまうだろう。
お兄ちゃんはマキシ少年に,チョコレートはどこにあるかと聞いた。
質問2-2 「マキシ少年は,チョコレートがどこにあると答えるでしょうか?」
質問2-2:青の棚
質問2-2:緑の棚(その他でも青の棚以外ならOK)
質問2-1,2-2は,実験参加者がマキシ少年の知識だけでなく,意図まで理解して回答できるかを調べるための質問です。
結果と考察
●質問1「マキシ少年はチョコを探すとき,どこを見るでしょうか?」
・4~5歳の正答率は,5割程度。
・5~8歳の正答率は,9割以上。
※ほとんどの児童はチョコの場所をきちんと覚えていたため,課題が難しすぎたということはなさそうです。
●質問2-1,2-2 「マキシ少年は,チョコレートがどこにあると答えるでしょうか?」
・質問1の正解者のほとんどは,質問2-1,2-2に正しく回答。
・質問1の不正解者は,質問2-1,2-2共に,本当にチョコがある方(緑の棚)と回答。
⇒心の理論は4~6歳で発達すると考えられます。
つまり,この時期に「他者は自分は違うことを考えている」「自分とは異なる意図に従って行動している」ことが理解できるようになるということです。
他者の心は5歳頃から現れる
心の理論は大体4~6歳で発達するようですね。
ちなみに,これは有名なピアジェの発達理論への反証になっています。ピアジェは,前操作期(2~6歳)の子どもはまだ他人の心を理解できないとしていました。この辺のずれがどこからくるのか考えてみるのも面白いですね。
あと一つ興味深いのは,質問1に不正解の場合(他人の心がわからない)と,質問2-2(意図的な騙し)の正解が,同じになる(緑の棚)という点です。実験設定がそうなっているからといえばそれまでですが,この状況は結構身近なところにもあると思います。
たとえば,電車の座席に座っていて,隣の人が足を広げてきたとします。迷惑ですね。さてこのとき,この人はこちらの気持ちがわからないからやっているのでしょうか。それとも,わかった上でわざとやっているのでしょうか。
乱暴な人や無作法な人は,しばしば「他人の痛みを知れ」と非難されます。しかし,実のところ本人は結構な割合で,既に「知っている」のではないでしょうか。嫌がらせをして喜んでいる場合,他人の痛みがわからなければ嬉しくないですからね。
こういうタイプの人に対して「他人の痛みを知れ」と言っても,あまり効果がない気がします。逆に,「全然問題ないですよ」というアピールをした方がやめてくれたりするかもしれません。ただし,本当に痛みをわかってない場合は逆効果なので要注意です。
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