社会的参照
今回とりあげる研究は,1歳児が他人の表情を使って社会的参照(social reference)を行うことを示した実験です。
社会的参照とは,一言でいれば「他人の顔色を伺って行動を決める」ことです。こうやって書くと悪いことのように感じますが,社会的参照は我々人間にとって重要な能力です。
十分な情報がないときに,とりあえず他人の反応を見て自分の行動を決めるのは非常に合理的といえます。もしこれがなければ,全ての行動を自分の考えのみで決めなければならなくなります。なかなかハードモードです。
まだ言葉も話せない赤ちゃんが「顔色を伺う」能力をもっていることを確かめるため視覚的断崖(visual cliff)という課題が使用されました。発達系の研究あるあるですが,母親が見せる様々な表情に翻弄される赤ちゃんの様子がほほえましい研究です。

視覚的断崖って,無駄に名前がカッコイイので好きです笑
もともとは,幼児に深さの知覚があるかを確かめるため開発されたそうですよ。
論文紹介

問題の所在
赤ちゃんが母親の表情をみて行動を決めることができるか,視覚的断崖課題を用いて検討します。
手続き
実験参加者は,生後12か月の赤ちゃん87名です。
まず,二つのエリアに分かれた,アクリルガラス製の台を用意します。
丘エリア :ガラスのすぐ下に模様つきの床面がある。
崖エリア :ガラスの30㎝下に模様つきの床面がある。
赤ちゃんは最初,丘エリアにいます。崖エリアの向こう側には母親がいて,笑顔でおもちゃを持っています。おもちゃに近づくためには,崖エリアを越えていかなければいけません。
渡っても大丈夫か不安になった赤ちゃんは,大抵母親を見ます。
このときの母親の表情を,独立変数として操作しました。
母親の表情は,以下のうちいずれかです。
- 喜び(happy)
- 興味(interest)
- 恐れ(fear)
- 怒り(anger)
- 悲しみ(sadness)
各条件は,それぞれ15~19人の赤ちゃんが分析対象になっています。
さて,赤ちゃんは崖エリアを渡るでしょうか,それとも引き返すでしょうか。

興味(interest)は,興味津々なときにする,目を大きく見開いた表情のことみたいです。
Wikipediaには,こんなサンプル画像が上がっていました。https://en.wikipedia.org/wiki/Interest_(emotion)
結果・考察
下の表は,赤ちゃんが崖エリアを渡り切った割合です。
母親の表情 | 渡り切った割合 |
---|---|
喜び | 74% |
興味 | 73% |
恐れ | 0% |
怒り | 11% |
悲しみ | 33% |
ポジティブな表情(喜び/興味)なら渡る,ネガティブな表情(恐れ/怒り/悲しみ)なら渡らないという傾向が読み取れます。
赤ちゃんは表情を使った社会的参照を行っている,と考えてよさそうです。
しかも,ネガポジの二次元だけでなく,文脈も考慮して判断していると考えられます。
例えば,悲しみは「崖エリアを渡る否か」という状況とは嚙み合わないため,恐れや怒りよりも,赤ちゃんの行動決定に与える影響が少なくなっています。
気になる21%
赤ちゃんも結構色々考えているみたいですね。ご苦労様なことです。
ところで,この論文を読んでいて一点気になるところがありました。最初実験室にきた赤ちゃんのうち30人(全体の約21%)は,母親を全然見なかったため分析から除外したと書かれているのです。
社会的参照に母親の表情を用いるかを検討する実験で,そのそぶりを見せなかったというのは仮説に反するデータです。ここをスルーしてしまうと,この研究の結果を過大評価してしまう危険があります。
まず,実験に参加した赤ちゃんのうち,3割はそもそも社会的参照に必要な顔を見ていません。そして,見た赤ちゃんの中でも何割かは表情の示すメッセージとは異なる行動をしています。
つまり,実験に参加した赤ちゃんがみんな社会的参照を行っていたとは言えないのです。なんとなく「赤ちゃんは社会的参照をするというデータがある」というと,赤ちゃんはみんなそれを行っているように感じますが,この実験でそこまでは結論できません。
幸い,この論文の著者は分析過程をきちんと書いてくれているので,こういった考察ができます。しかし,論文内容を要約して紹介するような場合,この点は見過ごされがちでしょう。その結果,心理学の結論はしばしば,意図せずとも誇張表現になります。
もしかしたら,自分の子どもが12か月目なのに社会的参照が見られないといって焦ってしまう方がおられるかもしれません。しかし,この論文だけを見て焦る必要は全然ないのです。心理学の知見は,他の科学領域より直感的に理解しやすいことが多く,つい結論を鵜呑みにしていしまいがちです。それを防ぐには,その結論がどうやって得られたのかを,少しでも知っておくと良いのかなと思います。
まあ,この研究の結論自体はそんなに意外なものではないし,追試も色々なされていると思うので,そこまで疑心暗鬼にならなくても大丈夫という気がします。
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