お乳をくれるから愛してる?
一般的に,人間,あるいはその他の動物が最初に愛するのは母親です。それは何故か。生存に必要なお乳をくれる存在だから。
1950年代にはこれが科学者たちの一般的な見解でした。ぬくもりとか安心感とか,そういう情緒的な側面は愛には不要と考えられていたのです。むしろ,子どもを抱きしめてはならないとまでいわれていました。
現在の常識とはかなり雰囲気が違いますね。意識や感情といった概念を排除しようとした行動主義の影響が強かったのだろうと思います。
そんな常識に待ったをかけたのが,ハリー・F・ハーロウです。彼はその一連の研究で,サルや人間の発育には母親との身体的接触を含めた積極的な交流が不可欠であるという新たな常識を生み出しました。
今回ご紹介するのは,その中でも代表的な研究「代理母実験」です。
かなり興味深い実験なのですが,先に結論を一言で表しますと,ミルク<モフモフです。
論文紹介
Harlow, H. F., & Zimmermann, R. R. (1958). The development of affectional responses in infant monkeys. Proceedings of the American Philosophical Society, 102(5), 501-509.
問題の所在
霊長類がもつ愛着や愛は,まず母親に対して生じ,成長とともにその他の対象に向けられるようになります。
では,その最初の愛はどのように生じるのでしょうか。アカゲザルの観察から,「母親は空腹を満たしてくれるものだから」だけでなく,身体的接触の有無が大きく関わっているという仮説が生じました。
「子ザルが,ガーゼのおむつに対して強烈な愛着を見せていた」というのが着想のきっかけだったようです。
観察1(滞在時間)
手続き
観察対象は,8匹のアカゲザルの赤ちゃんです。
まず,2体の代理母を用意します。
- 布製の母親:木のブロック製に,スポンジゴムと柔らかい布が巻かれている
- ワイヤー製の母親:金属のワイヤ製でできている
次に,2種類のケージを用意します。ケージには布製/ワイヤー製の代理母が設置されており,子ザルが一匹ずつ入ります。
- ケージ①:布製の母親のみにミルクの入った哺乳瓶
- ケージ②:ワイヤー製の母親のみに哺乳瓶
子ザルが代理母に抱きつくと,自動的に滞在時間が記録されます。
結果
・ケージ①②共に,布製の母親の上で長時間過ごし,ワイヤー製の母親にはあまり寄りつかず。
・この傾向は長期間(160日間)変わらず。
⇒甘える相手は,ミルクをくれるかではなく,肌触りがモフモフしているかで決めているようです。
観察2(恐怖刺激への反応)
手続き
子ザルと代理母のいるケージに,動くおもちゃを入れます。
動くおもちゃは子ザルにとって,初めて見るものなのでおびえます。
生後62日期間に,このテストを5回行いました。
結果
・抱きついている時間は,布製の母親>ワイヤー製の母親。
・その傾向は日数と共に拡大。
⇒怖いものに出会うと,布製の母親を頼りにするようです。
観察3(興味の強さ)
手続き
のぞき穴を作り,子ザルがレバーを押すと外が見えるようにします。
レバーが押されている時間が長いほど,強い興味をもっていると考えてよいでしょう。
外には,4種類のいずれかが置かれます。
- 布製の母親
- ワイヤー製の母親
- 別の子ザル
- 空の箱
結果
・レバーが押された時間は,子ザル≒布製の母親>ワイヤー製の母親≒空の箱
⇒ワイヤー製よりも布製の母親が気になるようです。
代理母とあったことのない子ザルの場合は,子ザル>布製の母親≒ワイヤー製の母親>空の箱でした。
考察
子ザルの愛着はミルクをくれるかではなく,しがみついたときの肌触りで決まるようです。
恐怖を感じたときの安全地帯となる,とにかく気になるといった特徴は,我々が愛や愛着と呼ぶ感覚の特徴とも合致しています。
愛を切り刻んだ先で
普通「愛はどこからくるのか」なんてこと,飲み屋の与太話にしかなりません。それか,物語や詩を読んでなんとなく分かったような気になるだけです。
しかし,ハーロウを始めとする心理学者たちは,そんな風に煙に巻くようなことはしませんでした。この論文の範囲でいうならば,その必要条件を名指ししたのです。それも単なる経験則ではなく,再現可能な事実によって。
そういう意味で,この研究は非常にカッコイイなと思います。心理学にしかできないことを,しっかりと成し遂げているからです。
しかし,ちょっと気になることもあります。
この見事な研究のように愛情のすべての条件がリストアップされたらどうなるでしょうか。個人差も含めて条件が特定され,「あなたがこの人を愛するのは○○と××があるからです」と説明できるとしたらそれは何を意味するでしょうか。
きっと相手はこう言うでしょう。「○○と××があれば私じゃなくてもいいのね」
あなたは,おそらく反論できません。おろおろして,なんとかごまかしながらこう思うはずです。「たしかに」
説明ができないからこそ生まれる唯一性が,愛には必要なんじゃないかという気がしています。そう考えると,心理学が愛の全条件を説明し尽くした瞬間に,愛そのものが損なわれてしまうのかもしれません。
なんとなく偉そうなことを書きましたが,要するにこういうのが,与太話ってやつです。
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