阿蘇山から宿に向かうバスの中が,妙にざわついていました。その時点で分かっていたのは,「東京の方で大きな地震があったらしい」ということだけです。卒業旅行の浮ついた気分と不確定情報による戸惑いが,狭い車内に充満していました。
私はというと,そんなことよりも宿の個室にちゃんとテレビがあるかが気になってしました。その日の金曜ロードショーで,私の好きな『ゴールデンスランバー』が放映される予定だったからです。
その後,バスは無事に宿へ到着します。個室にはきちんとテレビがありました。一安心です。夕飯までの自由時間をだらけて過ごすため,リモコンでテレビのスイッチを入れました。
なんか,爆発しています。
ハリウッド映画みたいですが,全然場面が切り替わりません。延々とリポーターが同じことを繰り返しています。映画だとしたら,ずいぶんお粗末な編集です。困惑しつつも,おそらく今夜の『ゴールデンスランバー』鑑賞が無理なことはなんとなく分かりました。
やがて情報が集まり,ただ事ではないということがはっきりしてきました。友人の携帯電話を順番に使って家族に安否確認をしたのを覚えています。(携帯持参は禁じられていたのですが,何人か隠し持っていたのです。彼らはちょっとした英雄でした。)
とはいえ,それ以上できることもないので,延々と流れる津波情報を見ながら普通に寝ました。旅行も後半で,結構くたびれていましたから。
これが私にとっての3・11です。
その後の旅程は,たしか長崎でした。一日自由行動で,色々食べ歩きました。特にちゃんぽんが美味しかったです。
東京に帰った後は,私も放射能や余震をめぐる諸々の混乱に参加することになります。そういう意味で,私もれっきとした当事者です。
しかし,みんなが最も恐怖を感じたあの瞬間は,そこにいませんでした。それはそれで良かったのでしょうが,なんか済まないなという気持ちもあります。
十年間,ずっとあります。
※疑似日記とは?
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